〜 5月16日の花 バラ(薔薇) 〜
花言葉・全般 |
愛・美・恋・幸福・無邪気・さわやか |
赤 |
情熱・愛情・熱烈な恋 |
黄 |
友情・可憐・愛情の薄らぎ・嫉妬・誠意のなさ・平和・美・恋の終わり |
オレンジ |
無邪気・愛情 |
白 |
私はあなたにふさわしい・純潔・尊敬・相思相愛・少女時代 |
青 |
奇跡 |
ピンク |
上品・気品・温かい心・一時の感銘 |
トゲ |
不幸中の幸い |
葉 |
希望・頑張れ・期待してもいいでしょう |
絞り |
満足 |
つぼみ |
愛の告白・あなたは若く美しい・純潔な |
刺 |
死・苦痛 |
別名 |
チョウシュンカ・ゲッキカ・ソウビ |
原産地 |
アジア・ヨーロッパ原産 |
科・属名 |
バラ科・バラ(ロサ)属 |
状態 |
常緑・落葉低木 |
...........花のいわれ・特徴.........
バラは地中海沿岸の東部、中国、日本原産の常緑、または落葉低木です。紀元前より生育されていたと言われ、膨大な数の園芸品種があります。19世紀にフランスではじまった品種改良により、現在では15,000種以上の園芸品種があるとされます。
バラは樹形や樹高、花の形や大きさなどに分けられ、もっとも盛んに品種改良が進んだ「ブッシュローズ(株立ち性)」、そして一般にツルバラと呼ばれ、枝が長く伸びる「クライミングローズ(つる性)」、枝をアーチ状に伸ばすものやスプレー状に広がる「シュラブローズ(半つる性)」、樹形50cmまでのコンパクトな「ミニチュアローズ(小輪矮性)」などに分けられ、さらに交配の系統によっても分けられています。
色は赤・ピンク・黄・オレンジ・青・紫・白・緑・茶や複色・覆輪・底白・などと漆黒以外ならあらゆる色が揃っています。いずれも四季咲きで一重・半八重・八重咲きなどがあり、花の形や色の鮮やかさ、そして香りなどどれもが賞賛に値し、花の女王として君臨しています。世界中でこれほど愛され魅了し続けてきた花はありません。用途はグランドカバーやアーチ・パーゴラ、トレリス、フェンスなど幅広く利用され、また香料としても素晴らしく、古くから香水の原料とされてきました。
赤いバラは深みのある紅の色合で花弁の陰影がエレガントであり、官能的な恋情エロスの象徴としての魅力をあらわしています。白いバラは優雅な気品が備わり、聖母マリアの純粋で無償の愛アガぺをあらわすものとして大切にされています。ピンクのバラはこの赤と白の中間で、もっとも優美で温かい心や感銘などの花言葉通り優しい感じをあらわしています。黄色のバラはキリストが迫害されていた時代、黄色は皇帝の色でした。そのため弾圧を連想させる黄花には否定的な花言葉が多いのですが、実際の黄バラは高貴でエレガントな花で、20世紀にもっとも愛された花です。
樹高は種類によって異なり、株立ちのものは1〜2m、ミニチュアローズは約50cm、ツルバラは5mくらいです。花期は5〜6月、9〜10月で、鉢の市販期は2〜6月と9〜11月頃です。
属名の「ローズ(Rose)」は語源はケルト語の「rhod、rhodd(赤い)」に由来し、バラの基準色の赤にちなんでいます。古くは赤いバラは官能の象徴だとされ、花言葉もここからついたといわれます。またキリスト教が広まってからはキリストの血を意味するともいわれています。バラはキリストを表象し、殉教者の墓に彫られた場合は復活を意味するとされます。
名前の「ばら」は「いばら(茨・棘・荊)」の「い」が抜けて転訛された語で、漢字で「薔薇」と表記しますが、もともとは中国の音読みで「そうび、またはしょうび」と読まれていました。別名は「チョウシュンカ(長春花)」、「ゲッキカ(月季花)」などと呼ばれます。英名は「Rose(ローズ)」です。
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バラは「平和の象徴」「美の象徴」として数々の神話・伝説を生んでいます。中世ではキリスト教のバラにまつわる伝説や、祭り・行事などにも多く登場しています。
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ギリシャ神話
キプロス島の海の泡から美の女神としてアフロディテが誕生したとき、オリンポスの神々が誕生祝いとして同じような美しい花を生み出し、その見事な美しさに神の酒をそそいで賞賛したとされます。その花がバラでした。それ以来、完璧な美しさをもつ「アフロディテの花」として、バラは「花の女王」とも呼ばれ、美と愛の象徴とされています。
ギリシャの伝説
伝承によれば、バラはコリント出身のローダンテという美女であったとされます。その美しさゆえに、彼女の愛を勝ち得ようとする王族や貴族たちの求愛に悩まされていたので、純潔の女神の神殿に避難したのです。でも求婚者たちや町の人々たちは追いかけてきて、破廉恥にも神殿の門を打ち壊してしまいました。怒った女神はローダンテをバラに変え、追ってきた人々を棘に変えてしまったのです。赤いバラの色は、このとき求婚者たちの視線にさらされたとき、恥じらう彼女の顔が赤く染まったことを表したものとされます。
キリスト教の伝説
一人の敬虔な修道僧が暗い森の中で、アベ・マリアのお祈りを唱えていました。通りかかった盗賊の一団がその祈りを耳にして、陰から様子をうかがっていたところ、ひとすじの光が地面から立ち上がり、その光は威厳のある女性の姿となって修道僧の祈りの言葉を50本のバラに変えました。女性はそのバラを束ねると冠を作り、修道僧の頭に載せました。それを見た盗賊たちは驚き、感動し、自らの邪悪な生活を顧みて神に許しを請い、その後は神に仕えたということです。
バラの木の下で
北方地域では「バラの木の下で」という古い言い伝えがあります。これは紀元前400年代にミレヴィア神殿で、スパルタ人とアテナイ人とペルシャのクセルクセス王がギリシャ征服を企てたとき、「内密に、内緒で」という意をもつバラの木陰で戦術を練り、その結果勝利を得たのです。この時代は秘密を守ることが義務として課されるような集会のときには、天井からバラをつるすという慣習があり、その下での会話は「秘密裡に」とされたことからこの言葉となったそうです。現在でもバラは、告白室や重要な会議室などの彫刻のモチーフに使われ、「沈黙」の象徴とされているそうです。
皇帝ネロのバラ
古代ローマ帝国の第5代皇帝ネロは母と妻を殺害し、ローマ市の大火をキリスト教徒に罪を負わせて迫害するなどの暴虐の性格から暴君として名を馳せていますが、バラを好んだことでも知られています。花びらを部屋に敷き詰め、宴会のときには天井からバラの香り水を散らし、食前食後にはバラの浴槽に浸り入浴後はバラの香油を体に塗ったりと、バラに贅をつくし、現在の金額にすると1晩で15万ドルもの大金を使ったとされます。
バラ戦争
バラはイギリスの国花ですが、かって1455〜85年にヨーク家とランカスター家の間で「バラ戦争」が起こりました。発端はヨーク公とサマセット公の口論で、ヨーク家は白いバラ、ランカスター家は紅いバラを摘み、両従者たちにも同じことをさせました。最初は単なる意地の張合いだったものが、王位継承をめぐる戦争となり、10万人もの命を落としたとそうです。結局ランカスター家の流れを組むヘンリーが王位につき、ヨーク家のエリザベスを妃に迎えて両派の和解をはかりました。お互いがこのバラの紋章をつけて戦ったのでこの名があります。
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...........花の栽培.........
バラは日当たりのよしあしで花つきに影響します。栽培は十分な日当たりと水はけ、肥料、そして病害虫対策が必要です。大きめに掘った穴に、乾燥牛フンやバーク堆肥にバラ用の緩効性化成肥料をたっぷり施し、植えつけます。元肥えのほか生育に応じて追肥を与えます。
花がらは花首から切り取り、春や秋の花後には小葉が5枚の枝のすぐ上で切り落とし、花後と冬には剪定を行い、風通しのよい状態を保ちます。冬に薬剤散布をします。 |
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